本物のヨガとは?
一般的に、ヨガと言えば、様々なポーズを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
それでは、ヨガとは様々なポーズを行うことなのでしょうか?
多くの方が誤解していますが、「ヨガ=ポーズ」ではありません。
様々なポーズを行うことがヨガではないのです。
もちろん、ヨガではアーサナ(Asana)と呼ばれるポーズを行います。しかし、それはヨガ全体の中のほんの一部分でしかありません。さらにアーサナ(ポーズ)は、ヨガの準備的な技術でしかありません。
したがって、どんなに難しいポーズができても、ヨガ全体としては、それほど大きな意味はないのです。高度なポーズを行うことに多くの時間をかけることは、ヨガとしては無駄です。
もしも高度なポーズを行うことがヨガであったとしたら、体操選手などはみんなヨガの達人になってしまいます。体操選手=ヨガの達人でしょうか?
ヨガにおいて、身体はあくまでも準備的なものです。
身体は手段で目的ではありません。
ヨガの中心はポーズ(身体)ではないのです。
ヨガが趣味だという方が多くいますが、もしかしたら、実際にはヨガを行っておらず、ただポーズを行っているだけかもしれませんね。さらにヨガインストラクターと名乗っている人も、実際にはヨガを教えておらず、ただポーズを教えているだけかもしれませんね。ほとんどのヨガインストラクターは、実はポーズインストラクター!?
※ここでは、「本物のヨガ」という言葉を使っていますが、ヨガ(Yoga)は、ヨガなので、本物も偽物もありません。しかし、現在多くの人がヨガ=ポーズという間違った考えを持っているので、「本物のヨガ」という言葉でヨガ=ポーズではないことを説明しています。
ヨガ=ポーズではない!
ポーズを行っているだけでは、ヨガをやっているとは言えません。同じように、ポーズを教えているだけでは、ヨガインストラクターとは言えません。単にポーズを教えるのはヨガインストラクターではなく、ポーズインストラクターです。本物のヨガとは何かが分かっていないヨガインストラクターはすべてポーズインストラクターです。
なぜなら、ヨガ=ポーズではないからです。
それでは本来、ヨガとは何なのでしょうか?
本物のヨガとは何なのでしょうか?
本物のヨガを理解するためには、ヨガの父と呼ばれているパタンジャリ・マハリシの教えが大切になります。
そしてパタンジャリは、ヨガスートラの中で、その冒頭にヨガとは何かの説明を非常に簡潔に述べています。この言葉、このパタンジャリの教えが、本物のヨガを理解するうえで非常に重要になります。
結局、パタンジャリの教えを学ぶことが、本物のヨガを学ぶことになります。
パタンジャリの教え
「本物のヨガとは何なのか?」
その答えはパタンジャリの教えにあります。
パタンジャリは、ヨガスートラの最初に「ヨガとは何なのか?」を一つの短い文章で説明しています。
そして、パタンジャリは、その一文の中で、心という言葉を使って「ヨガとは何か?」の説明しているのです。
そうすると、パタンジャリの「ヨガとは何か?」の説明を理解するためには、まずは「心とは何か?」理解しなければなりません。
結局、「本物のヨガとは何か?」を理解するためには、「心とは何か?」を理解しなければならないのです。
パタンジャリの教えの中心は心にあります。
ヨガの本質は心にあります!
心が分からなければヨガは分からない
本物のヨガとは何かを学ぶためには、パタンジャリの教えを学ばなければなりません。
そして、パタンジャリの教えを学ぶためには、まずは「心とは何か?」を理解しなければなりません。なぜならパタンジャリは「ヨガとは何か?」を説明するのに、心という言葉を使っているからです。
したがって、心が分からなければパタンジャリの教えが分かりません。さらに、心が分からなければヨガとは何かが分かりません。加えて、心が分からなければヨガインストラクターにはなれません。
結局、本物のヨガを理解するためには、心とは何かを理解しなければならないのです。
「心が分からなければ、ヨガは一生分かりません!」
ヨガを実践する者、そしてヨガを教えるヨガインストラクター、さらにヨガインストラクターになりたい人は、「心とは何か?」を学ばなければなりません。
- 心とは何かが分かる
- パタンジャリの教えが分かる
- 本物のヨガが分かる
- 本物のヨガインストラクターになれる